Diary...日記、っぽいもの


CoverGirl No.18

25/11/1996 言い訳モード

しばらく書かなかったら、日記の書き方忘れた。
さて。これはだいぶ昔、私がまだ栄光ある失業者だったころの話である。失業者に残された唯一の楽しみ、惰眠をむさぼっていたときのことだ。なんだかベランダ方面が騒がしいのでのそのそ起き出して見ると、ばーさんが叫んでいたのだった。なんでも、洗濯物を入れようとしてコケて、カドにぶつけて後頭部を切ったらしい。近所の人の車に乗せてもらい、その人の紹介で外科医院に急行した。
その医院は初めて行ったところで、医者は大柄な老人である。診療室で治療に立ち会ったのだが、惰弱なこちらの常識をふきとばす作業であった。滅菌(してあるのやらどうやらわからない)シートをかぶせ、そのへんのスーパーで買ったとしか思えないカミソリで傷もおかまいなしにぞりぞりと毛髪を剃り、ざばざばと消毒をして「おお、骨が見えている。ほらこの白いの、骨だよ」などと言いながらざくざく縫う。縫い終わるとその滅菌(だかなんだか知らない)シートでごしごしと患者の頭の血をぬぐい、ぐるぐると包帯を巻いて終了。頭なので一応レントゲンは撮った。
ここは物資も設備もない野戦病院か、というようなゴーカイな治療である。しかも「糖尿でねぇ、手足が利かなくなって」と言い訳する患者を、医者は叱りとばすのだった。「それはアンタが悪い(きっぱり)! 糖尿は自分で管理しないといけない。でないと、最後は悲惨なのだぞ」叱りとばすのみならず、脅しつける医者。おお、とても老人を相手にしているとは思えない剛毅さ。だいたいが、ばーさんは普段老人向けの病院で甘やかされているから、こんな医者に遭うとえらくビビるのだ。たまにはいいかもしらん。
とか考えてふと、本当に何気なくふと壁に目を転じた私は、納得した。さもありなん。
そこには、「戦艦長門戦友会」の文字も勇ましいカレンダーが貼られていたのだった。

というわけで、長らく更新がストップし、かつCoverGirlが欠番となったのはこのばーさんが危篤→亡くなったために帰省していたからなんである。「医者が今度はあぶないと言っている」というおおざっぱな呼び出され方をして行ってみたら、危篤のはずの老人が廊下にまで聞こえるような大声で炭坑節なぞ歌っており、介護役の母が「あ、ヨィヨィ」と能天気にあいの手を入れていた。「たばかられたか」と思ったが、その時点で血圧も50程度まで下がっていたらしい(後にこの話を聞いた看護婦の伯母および叔母が「そんな状態で!?」と驚いていた)。医者が何と言おうと、この状態で死ぬと思う人間はいなかったのだが、実際に死んでしまったのだからしょーがない。寸前まで一晩中歌っていたそうで、椿姫が死ぬ直前にアリアをがなりたてるのも、あながちリアリティのない話じゃないのかもしれないと思ったことであるよ。ちなみに、ぼーさんが付けた戒名は「耐道謡舞大姉」である。ぼーさんよ、何もそこでオチを付けることはないだろう、と思ったのは私だけではあるまいぞ。

28/11/1996 何だかねぇ

おお、また2日さぼってしまった。とか言ってる間に11月は28日になっていて、土日祭日がお休みで半月ごとにファイルを変えているこの日記、このファイルは今日明日でお役御免となってしまうわけである。うかうかしていると、1日しか書かれないファイルができてしまうところだ。む、結構おちゃめでいいかもしれないという気がしてきたぞな。って、これ書いたらおしまいなんだな。


とりあえず、仕切り直し(Archive)

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