とりあえず、仕切り直し


16/09/1998 文庫だと文字が小さすぎ

三原順の傑作選が2冊、白泉社から文庫版で出た。はみだしっ子の単行本にちょこちょこ入ってたやつ中心なもんで、読んだことのあるものしか入ってない。そもそも単行本になっているものは、「ルーとソロモン」をのぞいて全部所有してるんだからしょうがない。そんなわけで、文庫に収録するなら「ルーとソロモン」希望。とはいえ、三原順っていうのは作品点数自体が少ないんだし、装丁を良いものにした全集を刊行するとイケる作家じゃないだろか。もちろん今更ブレイクもしないだろけど、多少高価でも買う人がいるからちゃんとペイするんじゃないかな。ペイするだけのものでは、出版社内にファンでもいないと刊行は無理か。そりゃそうだよな。

おこのみ材料倉庫に2タイプ4点データ追加。「狙え一般受け! スカした海獣模様を増やすぜプロジェクト」は早くも挫折した模様。←だからいつそんなプロジェクト始めたんだよ。

24/09/1998 質問について

JIJI NEWS Watchにて、「国内/国際線とも航空機内は禁煙にすべきである」をYesかNoで問うアンケートを実施中。うっかりYesで解答しかけたが、それは自分の意見とは異なることに気付いて思いとどまる。

禁煙ではない場所での喫煙が公序良俗に反することはないとされている以上、すべきすべきでないという問題ではあるまい。喫煙可能か否かなんていうのも、サービスの範疇だと思うんだがね。だから、喫煙可がウリの航空会社とか、全面禁煙がウリの航空会社がでてきてもおかしくないハズで。

……なんていう選択肢があるとして、このどれを採用するか判断をするのは顧客ではなく航空会社だろう。サービスの内容は自分で決めるっしょ、営利企業なんだからさ。だから全面禁煙にしたほうが(公序良俗に反することのない範囲で)より多くの利益を確保することが可能になると判断すればそうなるだろうし、そうでなければそうでない体制をとるだけの話。喫煙者の団体や非喫煙者の団体が要望を出すのはまあアリかもしれないが、それを採用するかどうかは営利企業である航空会社の判断次第と。

だからこのアンケートは、「禁煙にしてほしいか否か」という質問でないと答えようがない。「禁煙にしてほしいか」と問われれば、してほしいと答えるぞワタシは。ありゃ、それとも、よもやと思うが、前に「現在経営不振がささやかれている某航空会社だが、それを何とかする方策のひとつとして」っていう文章が省かれている質問だったりするわけじゃないよな? もっともそれはそれで、禁煙にした場合の試算と現在の収益とかその他モロモロの情報を知らない状況では返答のしようがないんだが。

ああっ、30日まであと1週間ないじゃないかっ。それまでに200本も……200本……200……ふぅっ。←あまりのことに卒倒したらしい。

掲示板とかNetNewsとかメーリングリストとかを見ていて思うんだけども、「効率よく自分の望む情報を引き出す」ための質問のしかたを知らない人が多いなぁ。

「何度読んでも何が聞きたいのかさっぱりわからん質問」というのはもちろんどうしようもないが、さすがにそんなにたくさんはない。「何が聞きたいのかはわかったけれども、返答するのに必要な情報が提示されていない質問」っていうのが一番多い。典型的なのがパソコンに関する質問で機種もOSも書いていないというやつだが、もちろん他のジャンルでもこの種の“欠陥質問”は多い。

世間には「場の雰囲気が読めない」もしくは「読もうとしない」人が多いよなぁ。どういう質問の仕方をするとどんな答えが返ってくるのか、しばらく観察してみればわかると思うんだけども。そういうことをしていれば、どういうのが効率が良くてどういうのが悪いのかくらいはわかるっしょ。

しかし、効率の悪い質問をしてくる人っていうのはどうも、「場の存在を知った! 矢もたてもたまらずすぐさま書いてみた!」っていう感じなんだよな。みんなチャレンジャーだ。人見知りなワタシには到底マネできん。

……って、何でこんなことを書いているかというと、何が聞きたいのかわからない質問がきたからだっ。取引先からのメールなんだが、ええぃ何が聞きたいんだかさっぱりわからん。まさか「聞きたいことを整理してから出直してこい」ってわけにもいかないし、うまく誘導してやるしかないよなぁ。はぁ。

余談ながら、しばらく様子を見てからでないとオソロシくて参加できないワタシは、subscribeのメールに自己紹介を書いてそのまま流される形式のメーリングリストには、永久に参加できない。だってできないじゃん。中が見えない聞こえない会議室があってだよ、そこでの議題だけを知らされている状況。出入りは自由だからといって、自己紹介しながら入ってきてください、って言われてもさぁ。どういう調子がふさわしいのか、タイミングははずしていないのか、そんなようなことが気になるじゃん。

25/09/1998 「日記」の追放

思うところあって、このページを「日記」と称するのはやめることにしている。すでに日本語の「日記」は追放した。よーく見てみ、このページのアタマとかHomepageとかには「雑記」と書かれているから。残るはTITLEタグ内の「Shiomi Keiko's Diary」で、これは本日より書き換えた。これで万全……ってアンタ、ファイル名diary.htmlはどうするつもりなんだ。

というわけで、変えッちまいました。新しいファイル名はslipshod.htmlです。

最近何か「日記」にからんで嫌なことがあったとかそういうわけでなく、単に前々から「日記」と明言するのはやめたくなっていただけで。理由を邪推したとして、それが当たっていたとしても、らくだの背を折った1本の藁にすぎないのだ。どっちにしろ、深い意味はない。←とかしつこく書くと、いかにも何かあったみたいで嫌だな。イヤ、ホントに何もないんだってば。

別に読者から日記だと(思わ|断定さ)れることを拒否しているわけではないので、そのへんはご随意に。拒否したからどうなるってもんでもないしね。読者が自分の欲求どおりに読んでくれないと駄々をこねるほど堕落してないぞ。その程度のことに耐えられなくなったら、私は即ペンならぬキーボードを折る。いや、さすがに折るのは大変そうだからトンカチかなんかで叩き壊す。

しかし、「雑記」にあたる英語ってないのかな。例によって研究社の新和英中辞典を見ると、「雑な文章 a slipshod style」が一番好みであった。が、「style」を新英和中辞典で見ると「文体」で、日本語で言うところの「文章のスタイル」に近い意味しかないようだ。さらに「slipshod」を引いてみると例として「a slipshod style 締まりのない文体」。オイオイ文章と文体じゃだいぶ違わないか?

「雑記帳」で調べるとちゃんと「notebook」という訳語があるのに、「雑記」の訳語がないのは片手落ちではないのか。あ、ってことは「note」が一番「雑記」に近いのか。しかし「note」はたいがい使い尽くされてるだろうし、これ以上調べるのもメンドくさいので「slipshod style」を採用。異議は却下。

え、「仕切り直し」の英訳にしない理由?「仕切り直し」にはズバリ「get poised for charging」という訳語があって、そのまんま相撲用語になっちゃうから。そうなんだよなー、本来相撲の用語なんだよなー「仕切り直し」。相撲に何の思い入れもないんで、相撲ファンに申し訳ないんですがね。

28/09/1998 我をはる

miscellaneous notes! あーホントだこれが一番近いじゃんか。miscとか日常的に目にしておいて、どうしてそういう方向に頭が行かないんだか。やっぱ駄目だなー。修行が足らん。

「雑記」→「雑」+「文章」→「slipshod style(雑な文体)」は、ゴーインなすり替えだよなー。「雑記」の“雑”は「多くのものが統一なく集まっている」とか「他の分類にはいらないもの。はっきりと区別が立てにくいもの」(ともに岩波国語辞典)とかの路線だよなー。でも「雑な文体」のほうが私のココロをとらえちゃってさー。

こんな商売をやっていていまさらこんなことを言うのは気がひけるが、括弧の使い方ってよくわからん。辞書なんかからの引用が増えると我ながらヒドイことになる。例えば、上のとか。

大家さんが変わって最初の家賃は、無事本日中に振り込むことができた。←こういうことを書いておきながら日記でないって言い張るんだからホントにもう。

30/09/1998 フォルテピアノの真相

ことの起こりは、「ぴあ」であった。コンサート情報のなかに、「フォルテピアノ」というのがあったのである。そこで私は、私よりはずっと音楽に詳しい師匠に問うた。「フォルテピアノとは何ぞや?」答えていわく、「フツーのピアノのことじゃないの?」。

その場はそれですんだのだが、後に私は気がついた。「廃墟通信」6月6日の記述である。

 フォルテピアノというのは、要するに、18世紀にピアノが発明された、その初期型の呼び名である。スタインウェイに代表される現代ピアノと比べて、音が小さく、ダイナミクス・レンジが狭く、音の滞空時間が短く、どこか乾いた、ハープシコード的な響きがする。(とはいえ、発音原理は、弦をハンマーで叩く現代ピアノと変わるところは無く、弦を爪で引っ掻くハープシコードとは、全く異なる。)

そこで私は、ここで得た知識を師匠に披瀝した。しかしながら、返ってきたのは「これ見てごらんよ」という言葉と、音楽用語辞典の「ピアノフォルテ」のページであった。なるほど、「ピアノフォルテ」とはピアノの正式名称であるらしい。私は提案した。「ピアノフォルテが正式名称であるとして、それとは別に初期型のピアノをフォルテピアノと呼ぶのではあるまいか?」答えていわく、「そんなわけないでしょ」。

人生はすべからく勝負である。勝負であるからには負けてはならぬ。私は私の説を証明すべく、フォルテピアノについて調べてみたのであった。ドンピシャなのが「History of the Fiddle」から、「フラウトトラベルソとフォルテピアノ一口メモ」。これによると、フォルテピアノ=初期型ピアノと現代のピアノの差異は、フレームとハンマーの材質、それに弦の張り方である。材質もさることながら弦の張り方が違うのであれば、古楽器という別の楽器としてとらえる一派がいてもさほど不思議なことではあるまい。傍証としては、「静けさ、よい音、よい響き」から「いずみホールの試弾会」。新しいコンサートホールに関する記事に、下のような記述がある。

 このホールのオープニングにはバロック音楽に焦点をおいた“音楽の原点の旅”というシリーズが企画されている。古楽器の響きが、木目の優しいこの中規模のホールとその響きにしっくりと合っているように思えた。オルガンとともにチェンバロとフォルテピアノが備えられていることにもこのホールの意気込みを感じる。

通常のピアノを備え付けただけで(たとえそれがヤマハやスタンウェイのコンサート用ピアノの一番いい奴でも)「意気込みを感じる」と言ってもらえるほど、日本という国は貧しくあるまいよ。また、同じ文章のなかに「ピアノ」という用語を使っている箇所もあり、フォルテピアノとピアノを使い分けていることがわかる。「静けさ、よい音、よい響き」では、「古楽器演奏と日本のコンサートホール」という文章のなかでもフォルテピアノという用語を使用していた。

というわけで、「ピアノフォルテ」とは別にピアノの初期型を古楽器として「フォルテピアノ」と呼ぶ一派があることが判明したのである。わはははは。師匠、何か言うことはあるか?

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