ここのテンプレートにしているファイルがあるのだが、そこの日付を2003から2004に書き換えた。2004年。悪い冗談としか思えない。なんで未だに人類が滅んでいないのだ。
さて人類滅亡まであと366日といえば「宇宙戦艦ヤマト」だ。先頃劇場版を借りてみた。わたしもよくネタとして使うものの(その最たるものが「サーシャ」、最近そうは呼んでないけどね)、さすがに歳が1ケタの頃に見た原本の記憶があいまいになってきたので。驚いたことが2つ、1つは名勝負として有名な七色星団でのドメル艦隊との会戦、沖田艦長が何もしてなかったこと。古代が頭からっぽの突撃馬鹿なのはまあ当然として、沖田艦長はもうちょっと何かしてたような……いや、これは「コロナを波動砲で撃つ」って機転が印象に強いからだろうか。つーかあれ、まるっきり真田さん1人で勝ってないか? もう1つは真田さんが「こんなこともあろうかと」と言わなかったこと:-)
一緒に「大いなる幻影」など。黒沢清じゃなくてジャン・ルノワールのほうね。さすがによくわからなかった。いや、あれな。第1次世界大戦の捕虜収容所の話で各国の兵士が出てきて、それの見分けがつかないから登場人物の背景がとっさに飲み込めないの。慣れた人なら軍服で簡単にわかるんだろうが、メインであるドイツ兵とフランス兵が装備だけで見分けられるようになった頃はすでに映画も終盤だったよ……。ちょっとだけ出てくるロシア兵とか英兵だか米兵だかとかなんて台詞と状況から必死で類推しないとついていけやしない。うるせェほっとけ、興味のない人間にとっちゃ軍服なんてみんな似たようなモンなんだよぅ。まして色での判別ができないモノクロ映画だぞ。
で、最近のしおみさんといえば何語でしゃべって字幕がどうなっているのかが気になって仕方ないのだった。フランス映画で主人公たちも仏兵なので仏語メインではあるのだが、舞台はほとんどドイツの収容所なので独兵も大勢出てくる。仏兵同士は仏語、独兵同士は独語、独兵と仏兵が話してるときは仏語、なんだが。なぜか2回だけ、独兵と仏兵が英語で会話するんだよな。エーリヒ・フォン・シュトロハイムとピエール・フレネー、収容所を案内しているシーンと対決シーン。あれは何の意味があって英語に切り替えてるんだろう? そういうところとか、こっちの知識が足りなくてよくわからなかったってことで。
って、これを書くためにいろいろ検索していてひっかかった。「終着駅」ってデ・シーカが監督だったのか! いや、だって、中学生の頃にテーマ曲から入って見た映画だから(ウチには映画音楽大全集みたいな全20巻くらいのカセットテープがあったのだ。わたしはそれを聴き、気に入った曲の映画を見ることから映画を始めている。「終着駅」はちょうどその時期にTVで見たもの)……ネオ・レアリズモだのを知るのはもうちょっと後なんだよー。
物陰から射撃できる首振りタイプの新型銃。首振りはともかく、遮蔽物の陰から撃つために銃身が曲がってる銃ってすでになかったっけか? ええと、これか。→Experimental Curved barrel Machine Gun developed from the RPK light machine gun (1960)
「終わりのクロニクル(1) 上」(川上稔著/電撃文庫刊)をようやっと読み終わった。読む前はドッキドキだったんだがな。だって「電撃文庫で好きな作家は?」「古橋、秋山、川上」じゃいくらなんでもアレすぎじゃないか。サイトとかあらすじとか見るとどうもハマりそうだったから。で……人を選ぶという評判の川上稔、どうもわたしは選ばれないクチだったらしい。都市シリーズよりはまだとっつきやすいらしいんだが。
なんつーかな、こっちの脳内視覚情報データベースとの相性が致命的に悪い。わたしは見たことがないものを自力で映像化する能力がないので、今まで見たものをテキトーにラベリングして脳内に蓄積し、文章を読んだときにはラベルを検索して引っ張り出し組み合わせて映像化する、ってなことを(多分)やっているのだが。川上稔のだと「本来該当する情報がないのにラベルが似ているから関係ないものがひっかかって邪魔をする」現象が起きている、ような。余談ながら古橋秀之とか高橋弥七郎とかはこの相性が抜群に良かったりする。逆に完全に素通りする神林長平みたいなタイプもいるので面白がるための必須条件というわけでもないし、概念戦争のくだりなんかはそりゃもう大喜びで読んだんだがな。あとは、好みのタイプの女の子が1人も出てこないのが大問題。まあ判断するならせめて(1)の下くらいまでは読んでからか。
前後するが、「リベリオン」(カート・ウィマー監督)を見たのだった。噂には聞いていたが本当にガン=カタがすべての映画だな。いや大喜びしましたが。ああいう色合いの未来都市も好きなので。でも1つだけ不満を言わせてほしい。「なびかないロングコートに何の価値があるんだ」と……! あの映画の場合はストイックに襟元まできっちりとめているところに意味があるってのはわかるんだけど、でも、ほら、ねえ!?
で、なんでそれを見たかって、実のところ「浄火の紋章」をやりたかっただけだったり。「元ネタを見たことがないfan fictionに手を出してはならない」という自分ルールを守りたかったのさ(これがわたしの奉じる“仁義”ってワケ。言い訳だ? そりゃそうさ、仁義ってのは無法者が自分を許すための言い訳のことなんだから)。いやもう、ちょろっと好奇心でやってみた「ヴェドゴニア」が面白くて。a-brandのからみで名前だけは前から知ってたんだけどね。さらに体験版で入ってた「鬼哭街」がツボクリティカルヒット。酸性雨そぼふる上海の街をワケ有の人外ロリ連れて歩くロングコートの男、ってビジュアルだけで神様ありがとう状態。翌日秋葉原に走って「ファントム」ともども買いこんだサ。ああペトルーシュカ萌え。多脚機動モードは最高だ……。今、「沙耶の唄」をさっさと買うか評判を待つか悩んでるとこ。4作やってハズレなしだったんだから多分大丈夫だろうと思うんだけどな。
いわゆる「ボーイズラブもの」における男性同士の性交にかぎった話ではなく、性描写のある女性向け作品に成人向け指定が入ることは少ないと思いますよ。例外はPC用ゲームですが、あれは男性向けアダルトゲームメーカーの別ブランドだったりするので、メディ倫だかソフ倫だかのしがらみもあるんじゃないかと。ビデオやゲームといった製作者がもともとその手の利権団体もとい自主規制の審査団体に加盟している分野はさておいて、出版なんてのは外部からやいのやいの言われてまともな審査基準さえなくさしあたって目に付いたものに指定マークを印刷しているだけですし。で、そういう外部の人々にとって女性の性欲はないものとされておりますから。少年誌では絶対に載せられないような描写でも少女誌ならフツーに載っていますよ。でも刺激すると何をするかわからない危険な性欲を持つ少年と違って、少女には刺激されるべき性欲自体ありませんからどんな描写であってもポルノたりえません。存在しないものに目を光らせる必要はないですし、まして規制なんてできないでしょう? ちなみに女性向けではなく男性ゲイ向けの性描写入り作品もあるんでしょうが、それはそれで(一部“芸術”のお墨付きがあるものを除いて)作品も作者も読者もまとめて存在しないことにされていそうな気がします……が、こっちはさすがにまったく知らない世界なので邪推でしかありません。
ところで松山バレエ団の「くるみ割り人形」を見てまいりました。あまり高いものではなかったし、昔の先生の「ソリストを見たければ1階席、群舞を見たければ2階席」の教えを守って1階のA席を。いや、せっかくだから森下洋子を見たかったの。つーかホンモノの化け物ですな。だって還暦まであと数年ってお婆さんが12、3歳の少女の役を違和感なくやってのけるんですぜ。そりゃもう可憐に初々しく。だいたいわたしの歳が1桁の頃すでにトッププリマでいまだに現役のプリマってあたり、あれは本当に人類なのか。
どうしてあれだけ少女役に違和感がないのか考えながら見てたんだが、ひとつには単純に小さいってのがあるよな。他の女性舞踊手と並んでも頭ひとつ分小さい。完全に大人と子供の身長差。小柄な人だってのは聞いてたけど他の人と並ぶと本当に小さいのがわかる。調べてみたらなんとまあ150cmしかないのか。それから頭身が低い。もちろんあの年代の人としては相当良いプロポーションだし動きによって実際よりずっと綺麗に見えるけど、周囲の若手と並ぶとやはり頭の比率が大きい日本人体型で、それにあのほっそりと長い腕が加わると可憐な少女体型になるのな。あとは、これは動きのせいでそう見えたのかもしれないけど、骨盤が小さいと思う。女性が少年役をやっていたんだけど、その人の場合は骨盤の大きさと肉の付き方のせいでひと目で成人女性とわかった(肉付きって言っても太ってるのとは違うよ)。で、それと比べると骨格からかなり少女っぽいなと。
まあ……さすがに最盛期は20年ほど前に過ぎてるんでしょうが、いまだにトップをはっているのは伊達ではないですね。少女役に違和感がないのは、上に挙げた理由よりもまず表現力だろうし。生で見られるうちに見ておいて本当に良かったです。
結局買ってきてしまいました「沙耶の唄」。 これでお正月休みのひまつぶしは決定です。いい年の人間としてどうなんでしょうかその辺は。は、デモンベイン? いや買いましたけどね。しおみさんの一張羅マシンは動作保証外のノートPCなんですよ。その昔CD-ROMタイトルのレビューをやっていたころ山のようなゴミファイルと不具合を残してくれるのに懲りて安定した実用的なアプリケーションしか入れてなかったんで忘れてたけど、PCでゲームとかやるのって何かと面倒と障害が多いんだよね……。プロテクトがあるからには回避する手段も絶対にあるんだろうけど、ちょっと本腰を入れて調べる気力が今はない。
さてハダニとの闘争だ。コーヒー散布が効を奏しおおむね駆逐できてはいるのだが、あくまでもおおむねであって根絶ではない。時あたかも(弱めながら)冬将軍の到来を迎え、敵の活動は停止状態に近いはずである。したがって気温の上昇とともに反撃に転じる可能性は高いであろう。今のうちに焦土作戦を実行に移すべきか否か。
と、無駄に攻撃的になりますね「映像の世紀」を見ていると。気分はもはやスターリン。これを見るのって何度目だろうっていうか何気に再放送が年末恒例になってないか。一度くらい「社会主義の20世紀」の再放送をプリーズ〜。とか言いつつやってるとつい見ちゃうんだけどね。
同じ年代に撮られた映像であってもアメリカのものは比較的クリアであることが多いような気がして、なんだかんだ言っても豊かな国だよなと思っていたんだが。問題はフィルムの品質じゃなくて保存状態なのかも。だとすると国力(=生産時に品質を維持できる)よりは、本土が戦場にならなかったとか資料が散逸するような大きな体制の変化がなかったというたぐいの強みなのかな。