とりあえず、仕切り直し


04/11/2003 エクササイズ連休

疲れる連休でした……。

いや、何が疲れたって東京国際映画祭なんだけどね。ウチからメイン会場の渋谷まで、自転車で片道1時間ちょっと(坂含む)。1日2日と自転車で行ったんだわ。さすがに3日は雨が降ったんで電車乗ったけど。だって一番安いルート使っても往復380円、これを3日使ったらもう1本分のチケット代が出るんだぜー。それくらいならそっちにまわして運動を兼ねて自分の足を使ってみようかと。

1日はコンペティションから「ゴッド イズ ブラジリアン」(ブラジル/カルロス・ディエゲス監督)と「スーツ」(ロシア/バフティヤル・フドイナザーロフ監督)。あまり期待せずロシア分補給程度のつもりで見に行った「スーツ」が意外と拾い物。ロシア版「風櫃の少年」っつーか、大人になる一歩手前のぐちゃぐちゃ状態はどこに行っても一緒、普遍性のあるテーマではあるな。しかし上映後のティーチインで、「あれは夏を舞台にした物語なんだが、冬の雪が降っているときに撮ったから大変だった」と聞いてびっくり。何に驚いたって、あれが夏の話だったってところに。てっきり晩秋から初冬あたりの話だと思ってた(主人公の1人が母親に「海では人が泳いでる」って言う台詞があるんだけど、だから意味がわからなかったんだよね。悪ふざけか何かかと)。いくら北国ロシアでも、屋外で撮るかぎり太陽光線の色とか角度とか海の色とかが違いすぎて、冬を夏に見せかけるのは無茶だろう。

2日はアジアの風から「世界でいちばん私をかわいがってくれたあの人が去った」(中国/マー・シャオイン監督)。……なんかもう、イヤなもん見たなぁとしか。出来が悪いとかじゃなくてね、シャレにならない。10年前なら何とも思わなかっただろう、20年後には感情が動く余裕さえないだろう、なまじ今だと実感を伴いやすくかつ悲しむ程度の余裕がこちらにある、そういう類のシャレにならなさ。はー。そういう事情がない人が見れば多分フツーに傑作とか佳作とか呼ばれるものなんだろうと。主演女優の演技とかはさすがに見事なものだったしね。

3日はアジアの風から「冬至」(中国/シェ・ドン監督)。鏡とかモニタを通して見せる演出が面白かったかな。ストーリー的にはあまり好みじゃない。あとは青かぶりしたような色が面白いけどライティングかフィルタかと思っていたら、ティーチインで種明かし。普通の色でハイビジョン撮影したものをコンピュータ処理かぁ。どーでもいいといえばどーでもいいことだが、この監督が演出意図とかの質問に対して「わたしは」ではなく「我々は」という主語で答えることが多いように感じられたのがチト興味深かったかな。

チケット買ってあるのはあと1本、次は週末です。

ところでいまさらながら「機動戦士ガンダムSEED」など見ています、再放送で。放映開始前にキャラクターデザインから駄作警報を感じ取りこいつはヤバい近寄っちゃなんねェと回避してしまったんだが、あまりの不評にかえって興味をそそられて最終回付近だけ見たんだわ。そうしたら噂に違わぬステキ状態、作ろうったってフツー作れるもんじゃないすっ飛んだ不条理ギャグっぷりにバカウケしてしまい、ぜひ最初から見てみたいものだでもアレに金出すのもばからしいしなと、まあつまり渡りに船だったわけだね。さすがに最初は笑えるほどイイ出来じゃないが、ツッコミどころは早くも満載で期待どおり。あーわたしガンダムに思い入れなくてよかった。あったら今頃大変なことになっているに違いない:-p(つーか、個別のキャラクターやエピソードや設定にいちいちツッコミを入れるのもばからしい、ここまで頭の悪いアレしかない状態じゃ百万言を費やした考証より作った奴の頭が悪かったの一言のほうが説得力あるだろと激怒しつつ最後までつきあうなんて苦行は、一生に一度で充分だよな。おりゃーもうその1回分を昨年使っちまったんで、笑えるもの以外つきあう気はねェ)

05/11/2003 ファーマーへの道・困惑編

さて例年ならばチューリップの球根を植えている頃だが、今年は目先を変えてフリージアにしてみたのだった。なんだかずいぶんと早く芽が出てすでに10cm近い。はて、これで正しいものやら。

ローズマリーのほうは、順調といえば順調に育っている。強いて難点を挙げるとすれば、立性であるはずのディープブルーがなんだかやたらとひね曲がって育っていることくらいで。苗で買ってきたときはマリンブルーとそっくりだったくせに、いまや似ても似つかぬ姿になりつつある。はて、これで(以下略)

12/11/2003 理解への遠き道のり

ダイレクトメールが来たけど当面利用することはなさそうなのでURLをメモだけしておく→DollWorld。オーストラリアのショップらしいが、品ぞろえはほとんど他のショップと大差ないし、さして安価というわけでもないかな。強いて言えばレースが安いのかも。

さて先週末の東京国際映画祭最終日だ。特別招待作品から「グッバイ、レーニン!」(ドイツ/ヴォルフガング・ベッカー監督)。

大抵の人間は 何かしら自分を幸せにしておける様な口実を持ってるもんだ
仕事で成功できない者は けれど自分は家庭を大切にしているんだと言うかもしれないし 思い通りに家族を動かせなくなった者は けれど自分は会社でもっと多くの人間を動かし そいつらの生活を支えているんだと言うかも知れん
若い頃なら 途中で全く別な口実に切り替える事も難しくはないだろうが 年をとると 自分にその口実を言い聞かせて思い込ませるまでにひどく時間を食う様になってな…臆病にもなるし 億劫にもなる(X Day/三原順)

体制が崩壊するってのは、(特にその口実が体制に基づいていた場合)そういう口実を根こそぎにされることでもあるんだよなぁ。

例えば看板が大写しになっただけで、あちらの人間であればフツーに旧西側の文化が旧東側に入り込んできているという状況説明になっているんだろうけれど、そのあたりがイマイチよく理解できなかったのが口惜しかった。字幕もそこまではフォローしてくれないしね。(いや、コカコーラネタくらいはわかるよいくらなんでも。でもあの映画、他にもそういうネタが入ってただろうと思うんだよな)

まあそのあたりも含めて……通訳に頼るということの限界を痛感した映画祭であったことですよ。通常の上映と違って観客として日本人以外も想定しているので、英語/日本語以外の映画だと字幕スーパーが2種類入るのだね。英語と日本語。ゲストが来た場合もそう。例えばゲストが中国語で話すとすると、まず中→日の通訳が入り、それを日→英にする通訳が入るという2段構えになるわけだ。よく(読み|聴き)比べていると致命的ではないにしろ相互に食い違いがあるのがわかってくる。また通訳が悪かった場合など、さらに(1日「スーツ」のティーチインでチトもめたんだが、あれ、通訳が質問の主旨を誤解したせいだと思う。まあ質問者もクレバーとは言い難い質問の仕方だったにしろ、最後まで聞かないと意図がわかりづらい質問だったのにほとんど半分しか聞かないうちに訳し始めてたもんな。で、明らかに的を外した答えが返ってきてそんなことを訊いているんじゃないと質問者が怒ったと、そんな感じ。通じてさえいればそれなりに有意義な質問になったのに、もったいなかったよ)。

その元になる原語までいくとどうなっているのかなぁ、と。原語が理解できれば一番良いに決まっているのだが、見たなかでざっと思い出せるかぎりでも制作国はイギリス/ポルトガル/スペイン/フランス/イタリア/ドイツ/チェコスロヴァキア(当時)/ポーランド/ブルガリア/ギリシャ/スウェーデン/ノルウェー/フィンランド/ソ連(当時)/アフガニスタン/モンゴル/中国/香港/台湾/韓国/タイ/インド/オーストラリア/アメリカ/ブラジルとまあこれくらいはあるわけだ。覚えていないだけで実際はもうちょっと多いはずだし、インドあたりは一口にインド映画といっても使われた言語がいくつあったかわかったもんじゃない。1本の映画内にかぎっても侯孝賢みたいな撮り方された日にゃとてもじゃないけど手に負えんしね。好きな監督の1人をせめてと思っても、アキ・カウリスマキみたいに母国語以外でもしれっと撮っちゃう監督もいる(アキ・カウリスマキはフィンランド人。「コントラクト・キラー」はフランス人俳優主演の英語で撮った映画、「ラヴィ・ド・ボエーム」は本編フランス語でエンドロールの曲は日本語だ……)。

まー何だ。格下だった者が自分のレベルに追いついてきたら自分がより上に行くんでなしに相手が不利になるような条件を課して優位を保つなんていう、ジュブナイルなら悪役決定のセコい真似するどこぞの神様のおかげでこんな苦労をしてるワケだね:-p


Shiomi Keiko's HomePage
Suggestions, Comments, etc...send e-mail to <shiomi@skh.flop.jp>.
Copyright©2003 SHIOMI Keiko, All rights reserved.