防火管理講習を受けてまいりました。朝の9:20から17:00までみっちり座学のみ、最後に効果測定の簡単なテストを受けて合格すると乙種防火管理者です。実技もあるかとスニーカーを履いていったわたしの立場は。講義は先日の渋谷温泉施設爆発など例に交えつつ。つーかアレだ、本当に「出場(しゅつじょう)」とか「現場(げんじょう)」とか言うんだ。ちょっと感動。
以前「廉価版が出てから考える」と書いた「ワンダと巨像」をやりました。「冬の巨人」(古橋秀之著/徳間デュアル文庫刊)のイメージソースの1つだと聞いて、にわかにやる気がわいてきたもので。そういや「巨像殺しワンダの唄」とか強烈なの書いてたよなぁ。あれ「ふかふかの毛をわしづかみ」ってなフレーズがあって異様にツボに入って死ぬほど笑ったことであるよ。保存しておけばよかった。
さておき、「ICO」をやった時期に「重さ」の表現についてロマのフ比嘉監督をこきおろしたりしていたのだけれども、それとの比較もあって、このスタッフは「重さ」の表現が地味に巧いなぁと思っていたのだった。今回、巨像という題材を得てその長所が炸裂した感じ。馬の動きもイイよ。光と水の表現の美しさとかもパワーアップ。アクション性が増した分カメラの最低さもパワーアップ。ところで死人を甦らせようとする試みが報われるべきか云々の話だが、そこは納得できる結末になっていたと思う。
「技術中将の日米戦争 ‐陸軍の俊才テクノクラート秋山徳三郎」(石井正紀著/光人社NF文庫刊)を読みました。ようやくの陸軍強化月間です。
およそ第二次世界大戦に関しては「なぜ負けたのか」を考えるよりも「なぜこれで勝てると考えてしまったのか」を考えるほうが建設的だろうと思うのだが。鹵獲した米軍の土木機械があったのに、何に使うものなのかさえ知らないもんだから放置したままツルハシとスコップと人力とで飛行場を建設しようとして、見かねた捕虜が協力を申し出たくだりなぞ涙なくしては読めません。なんでこれで勝てると思ったんだ。それにしても、
「先ず我が国風としての技術蔑視の観念を一掃して掛からねばならぬと思う。技術よりも行政司法、技師よりも事務官というが如き差別観念は百害ありて一利なし。かかる因襲より脱却して速やかに技術者を尊敬し、重用するの国風を昂揚せねばならぬ」
…………昔っから似たようなこと言ってたんだなァ。そのまんま/.Jあたりの投稿にできそうだ。